『犬のおまわりさん』は(職業人として)有能か?

 

前回、童謡(こわれたクラリネットの歌)についての記事を書き、自分の周りで少しだけ好評だったので、今回も童謡をモチーフに書いている。

 

誰もが知る「犬のおまわりさん」という童謡がある。迷子の子猫と犬のお巡りさんが2人とも泣いているというサビの描写が昔から好きなのだが、それでも子供のころは単純に「(童謡とはいえ)だめなお巡りさんだなぁ」という風にも感じていた。泣いている迷子に対して、積極的に捜査を進めるわけでなく、ただ一緒に泣いているだけというのは、無策すぎるのではないか?…と(そこまで明確に言語化して考えていたわけではないけれど)そう漠然と感じていたと思う。

 

でも時を経て、まがりなりにも医療関係の知識や経験を積むにつれ「ひょっとして、あのおまわりさんは、むしろ有能だったのではないか?」とも想像するようになった。

名前も住所も言えない迷子の子供に対し、それ以上無暗に質問を重ねるでもなく、持ち物や衣服からあれこれ詮索するでもなく、ただ一緒に泣いて相手の不安や痛みを共有する。

そして『自分は味方であり安心していい』ということを無言のうちに子猫に対して示し、そのことで子猫が自ら「お家(親猫)を探そう」という意思が芽生えてくるのを導こうとしているのではないか?と。(解釈が多少飛躍しすぎかもしれなけれど)

 

とある高名な精神科医の先生が書いた本に「強い孤独や不安を訴える患者さんに対して、敢えてこちらも『困っている』という態度を示すことが(テクニックとして)有効なことも多い。でもその場合も『あなたを援助したい』とこちらが思っている事はしっかり相手に示しておく必要がある」という趣旨の記述があったことを思い出す。

 

日々診療をしていると、いろいろな症状の患者さんが医療機関にいらっしゃる。当然ながら症状もその苦しみの度合いもさまざまで、加えて最近は患者さん自身が『医療に求めるもの』も千差万別になっているなと強く感じる。自分の未熟さのせいもあるけれど、求めるものを上手に汲み取れず、患者さんとの関係性が少なからず損われてしまう(損なわれてしまいそうになる)場面も少なくない。

 

そんな時、ふと「犬のおまわりさん」の事を思い出す。さすがに現実として患者さんと一緒にわんわん泣くだけと言う訳にもいかないだろうけれど…それでも(即座に良い解決策が見つからない場合でも)まずは「自分たちはあなたの味方で、一方的に検査や治療(ときに説教も?)を押し付けるためにここに居るわけじゃない」ということは(言葉以外の部分で)さりげなく示したい。そういうことは、想像以上に有用なんじゃないか?と思ったりしている。

(とはいえ、現実にはなかなか思うようには行かないものだけれど)。

 

千代田区心療内科クリニックで2023年12月より、前任の院長から引継ぐかたちで院長を務めています。宜しければHPにも気軽に遊びに来ていただけると嬉しいです。

 

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(追記)ちなみに、件の迷子の子猫がその後(童謡の中で)どうなったのかが未だに分からない。ネットで調べてみた所「犬のおまわりさん」の歌詞が2番までは存在する事は確認しているのだが、それでも「子猫の素性は分からない…」という描写で終わっている。もし(例えば3番以降の歌詞が存在するなど)その後の顛末を御存知の方がいれば、ご教示頂けると幸いです。