クラリネットは玉ねぎだった??

 

先日、知り合いの俳優が出演する舞台を観た。シェイクスピア劇(ヘンリー四世)を下敷きにした「悪い仲間」(作・演出/河合祥一郎)というオリジナル作品である。

劇中「オー、パッキャマラド、パッキャマラド、パオパオパパパ」のフレーズが印象的な「クラリネットをこわしちゃった」が使われていたのだが…この曲が、実はフランスの軍歌(原題「玉ねぎの歌」)が起源であったことを初めて知った。

ちなみに「パッキャマラド、パッキャマラドパオパオ(パパパ)」の部分は「進もう戦友よ、進もう戦友よ、進もう、進もう、進もう!」といった意味とのこと。

知らないのは自分だけかと思っていたが、終演後、一緒に鑑賞した数人に恐る恐る尋ねてみたら、皆一様に「初めて知った」とのことで、少し安心する。

 

それにしても、日本の子供たちが「おー、ぱっきゃまらど〜」とクラリネットを吹く仕草をしながら歌うのを、フランスの人はどんな気持ちで眺めていたのだろう?…と、想像すると少し不思議な気分になったりした。

一方「あの曲は元々、戦意高揚を目的とした軍歌なのだ。だから子供たちに歌わせるべきではない!」という風な声がこれまで(一部の人から)上がらなかったのかな?…とつい余計な心配もしてしまった。

 

「本筋から言えば◇◇である(⇒だから、あくまでこちらが正当だ)」しかし「現状、世間では△△として一般認識されている(⇒それにはそれなりの正当性があるのだから、現状維持で良いじゃないか)」みたいな意見の対立は昔からあって、時に小さくない諍いへと発展する場合もある(それは例えば「正しい言葉遣い」みたいなことから、日常生活レベルのマナーや常識、果ては法解釈や歴史認識に至るまで、さまざまなトピックスが当てはまる)。センシティブなテーマであれば、感情的にもなりやすくなり、なかなか冷静になれないことも多い。

 

どちらが正しい、というのではなく…その両方をうまく納得させるような提案は出来ないものかと、都度考えてみる。もちろん良い案など(少なくとも自分には)簡単には浮かぶはずもない。

だが、仮にそういった昇華が可能だとして、それはより高次な(スマートな)提案というよりも、むしろ「その論争自体がばかばかしく感じられるような」新しい視座の提供という形で成立しうるのではないか?という予感はある。

 

とにもかくにもフランスの軍歌を、敢えて「クラリネットが壊れてさぁ大変だ」という突き抜けたテイストの歌詞へと変換した(当時の)翻訳者の感性に、個人的には改めて感心しつつ(同時に何かのヒントのようなものも感じつつ)劇場をあとにした。

 

(舞台自体はとても面白かったです)

 

…読んで頂きありがとうございました。

 

千代田区心療内科クリニックで2022年12月より(前の院長を引継ぐかたちで)院長を務めています。宜しければHPにも遊びに来ていただけると幸いです。

 

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